仮立舎ホーム・ページ 立読みコーナー 『悪人をたのむ』    
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             (三)

 「善悪」っていうこと自体は、一般的にいわれてくる善悪は相対的ですから、人により、あるいは場所により、時により、これは変わってくるわけですね。ま、日本においては戦前は、天皇陛下のいうことをきいて、戦争してゆくことが善であったわけでして、むしろ戦争に反対することは悪だったわけです。けれども、戦後になりますと、戦争しないことが善で戦争することは悪だと、こういうふうにひっくり返るわけですね。あるいは会社によっても、あるいは個々の家庭等におきましてもそういう、善と悪の内容自体はまちまちですけれども、しかしまあ、法によって成り立っている面は共通ですから、「善悪」っていうことはおよそ人間が共同生活を選ぶ、人間関係の中に身をおいてゆく限りにおいては、これは、一貫して共通することっていうことが、やっぱりあるわけですね。
 で、ちょっとまぁ、少し私事なんですけれども例を出しておきますと、昨日、わたくしの祖母の三十三回忌が田舎でありまして、一族が集まって、ま、地元の大谷派の寺で法事が勤まったわけなんですね。でまぁ、わたくしにとっては祖母、ばあさんになるわけですけれども、そのばあさんが晩年寝たきりになって、六〜七年ぐらいかなあ、ま、特に最後になりますと、「シモの世話」まで全部ままならないということで、まあ、「家」でいえばまぁ嫁ですね、わたくしの母が結局、寝たきりになってゆく自分の姑、わたくしにとっての祖母の面倒をみて、最期を見送ったと、こういう形になったわけです。
 でまぁそのぅ、わたくしのばあさんが死んだ時のウチの母のことですけれども、「やれやれ」と、こういう、あのぅ、表情を見せたわけです。そういうことをまぁ、口にしたんですね。ま、ほっとしたということが実情なわけですね。で、そうしたことを思いますと、裏返していえば、やっぱり生前、寝たきりになった自分の姑の面倒をみるっていう生活、そういう家庭におきましては、寝たきりになった自分の姑を、やっぱり「厄介者」として抱えていたということは、ま、母からすれば、本心としてはこれはあるんだと思います。ま、少し汚く言えば、なんで生きているの?と。どうして早く死んでくれないのか?というような思いが、これは、母の中においては、まぁ、率直にこれはあったと思います。ま、そういうことでもそうでしょうし、つまり、わたくしのばあさんでいえば、ウチは百姓だったわけですけれども、若い頃はとにかくバリバリの現役で働いてまして、家庭の中においても昔で言えば「主婦の座」っていうんでしょうか、そういうちゃんとした座があって、お茶一杯飲むについても、あるいはご飯を食べるにしても、まぁ憚るところなく何であれとにかくできたということがあるわけです。けれども、それがだんだん役立たなくなって、もう寝たっきりになりますと、役立たないのみならず迷惑をかける一方になってくるわけですね。ま、そういう面において、これはまぁそのぅ、世話をする方もこれはまぁ難儀でしょうし、そんなところにおきましてやっぱそのう、シモの世話までずっと面倒を見て貰うというような、こういう側も、ま、切ないっていえば切ないところですね。いわゆる老人問題になってくるわけです。
 そうしたことを思いますと、わたくしどもにおきましては善人の教育を受け、ずーっと善人社会に身をおいてきたわけですから、そういう、善人の眼でいろんな出来事を見るっていう習性が、やっぱこれは抜けないんですね。それは今までやってきた世の中・現実社会はこうなんだ、と。ここでは、善人思考、あるいは善人の眼から見るいろんな出来事への見方になってくるわけです。そういう面からいえば、やっぱりそのぅ、病気をするっていうことも、まぁひとつは、役立たないっということはあるでしょうし、同時に、厄介な者になってゆくと、こういうことになるわけです。あるいはまた、愛別離苦っというように、近しい人と別れるっていうことは、とりもなおさず、そういう形で築き上げられてきた人間関係が崩壊するわけでして、崩壊するっていうかたちでやっぱりそのぅ、今まで身をおいてきた、あるいは現に身をおいているところにおいて周囲から、冷たい目で見られたり、役立たない・無用であるとか、まぁ、なんで居るのかと、むしろ居るのが邪魔だと、こういう見方に晒されてくるわけです。そこから見ればこれは、歳をとってゆくとか病気をしてゆくっていうことも、広い面での、共同関係の中において老病死っていうことを見てみるならば、それはやっぱり、「悪人に成ってゆく」っていうことを示すのではないかというふうにわたくしは思います。ま、これもどうでしょうか。
 わたくしはやっぱり老病死っていうこともこれは、「悪人に成ってゆく」っていうふうに受け止めてきたのが、浄土の教えではないかというふうに見てくるわけです。というのは、言うまでもなく、老病死っていうことも、単に、老病死する当人・個人の問題として見るよりも、さまざまな人間関係の中において、老病死を見てゆくというのが、これはまぁ、浄土の法門の特色ですから、そういういろんな人間関係の中、つまり社会の中において、老病死がどういうふうに見られてくるかになりますと、やっぱり、無用な者とか厄介者になってゆくということになるわけで、まあ、善人の眼から見れば、やっぱり老病死してゆく、あるいは愛別離苦してゆくとか、怨憎会苦してゆくっていうこと自体が、『観経』あるいは『歎異抄』のお言葉を通せば、やっぱり「悪人に成ってゆく」ということをこれは示しているというふうに、わたくしは見たいんですね。
 老病死っていうことを人間関係の中で、しかも仏教の中でどう捉えてくるのかっていうのは、わたくしはなかなかはっきりしませんもんですから、そういうこと思うんですね。これはあのぅ会社でいえば定年退職の問題も大きな問題なわけでしょう。おそらくこれは、若い時にはバリバリ働きまして会社に役立つわけでしょうけれども、歳をとってくれば会社から見れば、利潤を上げるという意味での観点で、役立たないと。そういう利潤追求という会社の基本的約束事から見れば、それに外れる、反するという在り方がやっぱり、歳をとってゆくということになるわけでして、その面で歳をとってクビを切られるっていうことも、裏返して言えば、もう居なくてもいいと、もう邪魔だと、まあ、迷惑だと、こういう烙印をはっきりと押されるわけですね(笑い)。これはまあ、定年退職ということの、まあ、正直なところでしょう。
 しかしそのことが、やはり広く言えば、「悪人に成る」っていうことの、やっぱり具体的なすがたではないかというふうに、わたくしは見たいんですね。ですから、そうしますとですね、これは老病死あるいは四苦八苦であらわされる人生観で、非常にまあ明確にあらわされているわけですけれども、我われの一生涯ということが、「悪人に成ってゆく一生涯」ということで見直されてくるわけです。仮に今、もうバリバリに働いていたり、あるいは家族を扶養したり、子育てをやってゆくとかっていうようなかたちで、善人として善人社会に身をおいていたとしても、善人として現に今生きているっていうことも、あるいは善を修めてゆくっていうことも、これら全部が、「悪人に成ってゆく歩み」を、あらわすことに他ならないと、こういうことがあるわけですね。ですから、そこで見ますならば、「悪人に成りつつある」、あるいは「悪人に成ってゆく」、少なくともわたくしどもの人生の行く手に待ち受けているのが、「悪人」であり、「悪人の世界」であるということが、ひとつ、見通されてくるわけです。
 今申し上げてみましたのはですね、そういうそのぅ、わたくしどもが絶えず善人教育をずっと受けてきた、善人を生きてきたわけですから、そうした面で言えば、どうしても善人指向が抜けないわけです。ですから、「悪人に成る」ということも善人の眼から見れば、無用な者に成り果てるとか、あるいは厄介者とか邪魔者に成り果ててゆくと、こういう受け止め方になるわけです。しかしそのことを同時に、「悪人の眼」から見ると、これがどうなってくるか、どういうふうに見られてくるのかということも、考えておくには無駄ではないだろうと、いうふうにわたくしに思わされることなんですね。「悪人の眼」というのを少しキザに言えば、「阿弥陀の智慧」とか「阿弥陀の光明」と、こういうふうにわたくしは受け止めるわけでして、ま、わたくし流に少し泥臭く、「悪人の眼から見れば」と、こういうふうに申し上げておきます。
 そうしますとこれは、何でもないことですけれども、老病死なら老病死ということが、何によって成り立っているのか?と。あるいは何が老病死という現実を成り立たせているのか?と、こういうふうに、まあ「悪人の眼」からは、見直されてくるかというふうに思うわけです。例えば、学校の生徒さんにおきまして、先生の言うことをよく聞いて、一生懸命とにかく学業に励むということも、これはやはり非常に意欲・エネルギーがあるわけです。あるいは、会社に入社してバリバリ働いてゆくっていうことは、これまた非常に旺盛なバイタリティがあるということになるわけです。ならば、定年退職をするとか病気をする、あるいは年老いてゆくっていうことには、何も無いのか?と。普通、善人思考でいえばそういうように、老病死してゆくとか四苦八苦に直面するっていうことは、そういう善人のバイタリティ、善人であることのエネルギーがやっぱり衰えていったり、無くなってゆくこと、というふうにこれは当然映るわけですけれども、しかし、もういっぺんそこは見方を変えて、「悪人」から見るならば、善人として生きてゆくこともこれは、大きなエネルギーが要るわけでしょうけれども、老病死してゆくっていうことも、それとはまた違ったところにおきまして、そこにエネルギーが要るということがあるんではないでしょうか。何らそこに意欲とかバイタリティとかエネルギーっていうことが無くして、病気になる、あるいは病気をすることが可能なのかと。あるいは、年老いてゆく、あるいは年老いているっていうことが可能なのかと。もっと言えば最終的には、死んでゆく、死ぬっていうことが可能なのか。となると、歳をとったり病気をしたり死んでゆくということも、やっぱりそれはそれとして、善人のエネルギーとは別のエネルギーが、やはりそこに強くはたらいているということが、わたくしには窺われるんですね。
 まぁ、亡くなった方の最期のことをよく聞かされますと、最期はやはり、断末魔の苦しみがあったりするわけでしょうけれども、やはり、いのちを終えてゆく、息が絶えるということも、仮に善人のエネルギーということを尋常のエネルギーっていうことに言い換えておきますならば、「尋常ならざるエネルギー」がそこにはたらいていたからこそ、初めて、息絶えるということが成り立つわけでしょう。その、いのち終えてゆくっていうことは、やっぱりそのう、会社で働いていくとか子どもを育ててゆくとか、一生懸命学業に励むとかっていうような、善人の身を支えてゆく・善人を生きてゆく意欲、こういうエネルギー、まあ、これが尋常のエネルギーでありますけれども、それとは別の、尋常ならざるエネルギーがそこにはたらいているというふうに、ま、わたくしにはこれは、思われるわけです。そうしたエネルギーがなければ、これは老病死するっていうことも成り立たない、ということを思うんですね。
 先ほども言いましたように、東に向かってゆくっていうことはこれは、大きなエネルギーが要るわけですけれども、これもどうでしょうかねぇ。まぁ物事を始めるっていうことも大きなエネルギーが要るわけでしょうけれども、物事を閉じてゆくっていうことが、それとはかなり違った非常に多大なエネルギーが要るんじゃないでしょうか。始めることも大変ですけれども、終わることはもっと大変だということを、ま、これは自分の些細な体験の中でも、節目節目においてやっぱり感じさせられてまいりました。まぁ、入社するっていうことも大変でしょうけれども、会社を辞めるとか、あるいは定年退職を余儀なくされるっていうことは、それ以上に大変なことじゃないでしょうか。まぁ、当人が死ぬことも大変なことでしょうし、あるいは近しい人を見送るっていうことも、もぅ、非常に疲れることでしょう。ま、これは夫婦の関係におきまして、生き別れたという人からそういうことも聞くわけですけれども(笑い)、結婚することも大変だったけれども、離婚することはもっと大変なんだというようなことを、まぁ、経験された方々はよく口にされるわけですね。だから我われはそういう、別れるだけのエネルギーがないから、まあ(笑い)、夫婦関係を、いろいろあるけれども、惰性で続けているという面も、こういう年齢になってくるとあるでしょうね、これは。わたくしはそう思っています(笑い)。ま、終りを自分の方から、ピリオドを打つだけの意欲が、あるいはエネルギーが無いと。少なくとも縁起してこないと。いろいろあってガミガミ言われ、あるいは言い合いながらも、夫婦関係が、まぁ保たれてゆくということもあると思います(笑い)。それくらいやっぱりそのぅ、始めること以上に終りを全うしてゆくっていうことは、大変なことだというふうに、わたくしは思ってます。
 ですから、ちょっと思いますとですね、これはですね、「悪人に成る」ということも、今まで身を置いてきた人間社会から、あるいは人間関係の中からそのぅ「はみ出る」と。わたくしの表現で言えば「はみ出る」という内容だと思います。そして、その今まで生きてきた社会の外に、「こぼれ落ちる」と。ま、「外」といいましても、今までの生きてきた社会の片隅にやはり放り出されてゆくと、こういう意味になるかと思います。したがって、厄介者とかというふうになるわけですね。まあ、家庭とかあるいは会社等で見ればはっきりするわけでしょうけれども、なるほど、一面では放り出されてくる。歳をとるとか病気をするとか会社をクビになるとかというかたちで、放り出されてくるわけですけれども、それは他面からみれば、今まで生きてきた会社からはみ出て、会社の外に「こぼれ落ちてゆく」、になるわけですね。つまり、特に老人問題でいえば、今まで生きてきた家庭からはみ出て、その外に「こぼれ落ちる」と、いうのが家庭内において、歳をとるっていうことになるのではないでしょうか。まぁ、家庭の片隅に放り出されてくるっていうこともあるでしょうし、今日ではむしろ、まさしく、家庭から追われまして老人ホーム等にですね、それこそ文字通り家庭の外に放り出されると、あるいはこぼれ落ちる、と。こういう形にもなるわけでして、「悪人になる」ということは、そういう面でいえば、まぁ、繰り返しになりますけれども、今まで生きてきた善人社会からはみ出て、善人社会の外にこぼれ落ちる、と。こういうふうに人間関係の中で捉えれば、これはやはり、「悪人」をあらわすすがた、とわたくしには見られるわけですねえ。これもどう取るか別なんですが、まぁこれはわたくし流の少しいじましい表現ですけれども、「はみ出て、こぼれ落ちる」と、いうところに「悪人に成る」ということをわたくしは見ております。
 ですからその面で言えば、老病死ということもやはり、善人社会から「はみ出て、こぼれ落ちてゆく」という姿になるんでしょうねぇ。会社からはみ出て会社の外に、ということになるでしょうし、いのち終える・死ぬっていうことも、敢えて言えば、「この世からはみ出てゆく」と、あるいは「はみ出される」ということで、亡くなるっということの事実のすがた、自相ということはあるでしょうね。我われの実体的な言い表し方で見れば、お墓に隠れるっていうことでしょうけれども、まぁこの世からはみ出てこの世の外にこぼれ落ちてゆくということが、我われの目に映る、人間関係から見てくる、「死ぬ」ということになるんだと思います。ま、どっちにしましても、そういうように、今まで身を置いてきた社会・人間関係からはみ出てこぼれ落ちるというところに、「悪人に成る」ことをわたくしは自相、事実のすがたとして見たいということが、あります。これはまぁ、国の約束事を破って手が後ろに回ることも、やっぱりそういうことに包まれてくるわけですね。
 ですから、そこで言えば先ほどのとダブりますけれども、老病死したりするっていうこと、あるいはその終りを全うする時に、あるいはまた、生きている中におきましては、会社なら会社生活の終りを全うするっていう時におきましても、そこに、我われが善人社会に生きてきた中において出てくる意欲とは違ったエネルギーがはたらいているっていうふうに、見なければならないってわたくしは思います。ま、善人を生きるエネルギーに対して言えば、「悪人に成ってゆくエネルギー」がそこに生きてはたらいていると。これはまぁ言うまでもないことでしょうけれども、愛別離苦にしましてもあるいは老病死にしましても、そういう老病死してゆくようなエネルギーが、あるいは愛別離苦してゆくようなエネルギーがそこに脈打ちはたらいているんであると。そして、そのことが実際に、病気になるとか歳とるとか、あるいは息絶える・死ぬとか、あるいはまた、愛しい人に死に別れるとか生き別れると、こういう出来事の上に、老病死してゆくとか愛別離苦して、四苦八苦してゆくような意欲が、かたちをとって迸り出てきていると。これはまぁ、わたくしはそういうことをまぁ垣間見るわけですし、あるいは自分の人生経験におきましてもあるいはまた、ま、僧侶という仕事柄、葬式挙げたりあるいはまた法事を勤めるっていうかたちの中においても、折に触れていろんなかたちで見聞するところだなあというふうに、わたくしは思っているわけです。
 そういうふうに見ますならば、もうわたくしが言わんとするのは、言わずもがななんですけれども、なんと言いますかねぇ、今まで生きてきた社会からはみ出てその外に、こぼれ落ちてゆくような意欲とか、あるいはそのエネルギー、というのがわたくしはもぅ、それが「阿弥陀の本願」であるというふうに、これはあのぅ、受け止めているんですねえ。これ、どうでしょうか。そのぅ、老病死してゆくような、あるいは四苦八苦してゆくようなエネルギーとか、そういうような意欲とか、あるいは力、これが「阿弥陀の本願」として言い表されているのではないかということを、この頃、感じ取っております。わたくしはそれを平凡に「はみ出てゆくエネルギー」っと、こういうふうに言っているわけです。まぁ、終りを全うしてゆく、終りに向かって滅びてゆくという面で言えば、やっぱり、西に向かってゆくエネルギー、あるいは西に向かってゆく力とか願というかたちで、「阿弥陀の本願」の内容が、やっぱり言い表されているというふうに、わたくしはあのぅ、ちょっと見たいんですねえ。これがどうかということがひとつあります。
 それで、このぅ、老病死してゆこうとか、老病死してゆきたいとか、あるいはまた四苦八苦してゆこうとか四苦八苦してゆきたい等ということは、わたくしどもの中から出てくる意欲ではない、ということが窺われますし、善人の根性から見ますならば、そんな意欲があろうなどということも思ってもみないと、いうこともあるわけですね。まあ有り得ないわけです。そんな意欲など、全く知らないというふうに、これは見られるわけですね。しかし、今までの社会から放り出されて、それこそ世間の片隅に、こぼれ落ちる。で、そこに身をおいてゆくっていうことは、我われやっぱり善人思考が離れませんですから、そういう意味でいえば、非常に肩身の狭い・切ない人生になるわけですね。ま、辛いわけです。まぁ、針の筵っていえば針の筵になるわけですね。冷たい視線に晒されまして、なんでまだ生きているのか?と、どうして死なないのか?というような、種々の視線を浴びながら、邪魔者扱い・厄介者扱いされる中において、それでもそこに身を晒してゆくわけですから、非常にやはり辛いといいますかね、切ない、もぅ肩身の狭い中を遠慮しながら、喘ぎ喘ぎ、ひっそりとそこに生きてゆくっていうかたちになるわけですね。
 しかし、そういう中におきまして、世間の片隅、それこそ善人社会の片隅でひっそりと肩身の狭い生き方をしていらっしゃる方が、これは世の中に現にいっぱいいらっしゃるわけでして、そういう善人社会の片隅で、肩身の狭い人生を送ってゆかれる方々の中におきまして、もぅ、まざまざとあらわれ出ている意欲が、これはあるわけですねえ。当人は何も、「悪人の身を生きてゆく」っていうような意欲を意識しているわけではないとしましても、そういう、遠慮しながら肩身の狭い中において、切ない思いをして生きてゆくというその中に、まざまざとわたくしどもから見れば、悪人の身を敢えてそこに生きてゆこうとする意欲が、あらわれ出ていると、いうことだけは、窺われるわけですよ。
 ま、当人から見れば、「なんでまだ、生きにゃならないのかなあ」と、「なぜもっと早くお迎えが来ないのかなあ」とか、「なぜこんな思いをしてまで」っていうところ、でしょう。まぁ、老後の人生になってくるとそこになるわけでしょうし、まあ世俗的に見れば、老後の人生。少し言葉を変えれば、それはやっぱり「後生」、というふうに、昔の方々が言い表してきた人生だと、わたくしは思うんですね。そういう中において、そういう切ない思いの中において開かれてくる生活境遇っていうのが、「後世」っていうふうに、当然なってくるわけですね。ま、ま、常識的に言えば惨めな人生を生きてゆく中において、開かれてくる境遇っていうのが、つまり、「後生」において開かれてくるような境遇っていうのが「後世」っていうことだと、わたくしは思うんですね。
 ですからそういう、まぁ、針の筵のような大変な境遇を敢えてそこに生きてゆくっというところに出てくる、そこにあらわれてくるような、意欲。いわば、「悪人の身を生きよう」、あるいは「悪人の身を果たし尽くしてゆこう」とするような、善人の眼から見れば、尋常ならざる意欲っていうことを、これはやっぱり、見ないわけにはいかないわけです。そういう意欲がなければ、片隅においてひっそりと身を晒してゆくこと自体が、成り立ってこないわけですから、ま、そういう「悪人に帰り、悪人の身を生きてゆく」っていうところに、もう、明々とあらわれてくる、「悪人の身に成らん」とし、また「悪人の身を生きよう」とする意欲が、まさに、「悪人の身に成り、悪人の身を生きていらっしゃる方々の上」に、具体化されていると、思うんですね。
 それが、「阿弥陀の本願」といわれてくるところ、じゃないでしょうか。ですから、当然そこに、今までの境遇をはみ出て、その外に放り出され、あるいはこぼれ落ちてゆくっというところにおきまして、ま、「悲嘆」ということがあるでしょうし、そこに痛恨の思いがあるわけでしょ。あるいは、申し訳ないっていうこともあるでしょうし、ま、辛い悲しいと、あるいは悔やむと。それにまぁ、反省、あるいは恐縮した思いがあるわけで、そこに「悪人の身に成る」ということの、自覚があるんだと思います。ま、キザに言えば、「悪人の涙」と、こういうことだと思います。「悪人に成って、悪人の身を生きることに涙する」と。その「涙」というところにまあ、「悪人の自覚」がやはり、あるわけですね。でなければ、「悪い事しても、何やってもいいんだ」とこういういわゆる「造悪無碍」になるわけでありますから、そういうことと一線を画する面でいえば、やっぱり、「悪人の身に落とされてくる、余儀なくされるというところに、涙する」と。ここに、「悪人の自覚内容」が端的に言い表されているということを思うわけですね。
 そしてそういう中におきましてやはり、「悪人の身に成り、生きてゆかれる」と、いうところに、まざまざと、その「悪人の身に成ろう」とし、あるいは「悪人の身を生きようとする」、もっと言えば、「悪人の身を果たし尽くしてゆかん」とするような、意欲が、そういう意欲を知らないわたくしどもに、まぁ、具体的なすがたかたちをとって、あらわされていると。ですからそういう、「悪人」の身を生きていらっしゃる方々を通して、初めてそのぅ、「悪人の身を果たし尽くしてゆこう」とするような、意欲に、わたくしどもが気が付かされると。これがあるんじゃないでしょうか。
 「はみ出て外にこぼれ落ちるエネルギー」っというふうに、これをまぁ、「阿弥陀の本願」と先ず、言い表しておきますと、そういう「阿弥陀の本願」っていうことは、やっぱり悪人の身になり、悪人の身に生きてくださる方々の上に、出ているでしょうし、そういう悪人の身に成り、悪人の身を生きていらっしゃる方々を抜きにしては、私どもは「阿弥陀の本願」を知ることもできない、ということが、これはひとつ、どうでしょうかねえ。ま、その面でやはり、「南無阿弥陀仏」っていうのは「阿弥陀の本願」が、言い表され、まぁ具体化されてあると。あるいは「南無阿弥陀仏」までになった「阿弥陀の本願」というふうに、先生方が表現してくださるその意味が、そこら辺にわたくしは感じ取られてくるわけですねえ。
 その面で、冒頭申しましたように、老病死してゆくっていうことがわたくしどもにとりましては、やはり、「悪人に成り、悪人の身を生きてゆく」という「南無阿弥陀仏」として、まぁ、示されているんであると、そういうように思いますし、その、「南無阿弥陀仏」としてむしろ、「阿弥陀の本願」がまさしく、かたちをとってあらわされてきているんであると、こう見てくるところに、まあ、「南無阿弥陀仏」のもつ面目があるんではないでしょうか。だからそういう、ま、わたくしどもにとっては先達ですけれども、先立ってそういう、悪人になったことに涙し、その涙してゆかれる悪人の、身を果たし尽くしてゆかれると、いうことを通してのみ、なんかぁ、「阿弥陀の本願」っていわれてくるような、そのはみ出てゆくエネルギーに、知らされると。あるいは気が付かされるということがあるんじゃないでしょうか。おそらく、学校でいい成績を取るとか、会社でバリバリ働いているという時には、ちょっと気が付かないそういう生きるエネルギー、だということを思います。しかもなおかつ、そこに目を向けてみるならば、家庭でちゃんと子どもを育てるとか、あるいは会社で一生懸命に営業の成績を上げてゆくとこういう善人であることの、善人の身を生きてゆくエネルギーの中に、むしろ宿っている意欲としても、やっぱり見直されてくるわけですね。
 善人の上にまぁ直接に、明確に出てくわけではないわけでしょうけれども、善人の根底にやはりそういう、悪人たり得るような、悪人の身を果たし尽くしてゆくようなこういう、「阿弥陀の本願」が同時に、脈打っていると、そういうことが思わされるわけです。ま、そこが、「善人なをもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」というような、有名なお言葉でもって示されてくる、具体的な内実かなあと、いうふうにも思わされてくるわけでして、ま、そこんところが、老病死の問題が「南無阿弥陀仏」で応えられてきていると。いわば、「阿弥陀の本願」を知らないでいる我われに「南無阿弥陀仏」でもって「本願」に気付かしめると、いう観点で、やっぱり老病死っていうことが、これは大事な意味をもってくると、こういうかたちにはなるんじゃないでしょうか。そこを先ず、「南無阿弥陀仏」と「本願」ということについて、ちょっと思うわけですね。
 どこまでその混乱がほどけているのかわからないんですけれども、そこを、「名号にまでなった本願」と、あるいは「名号として本願が具体化されてくる」とこういうふうに教わってくる。それからまた、「名号と本願とは一つであるけれども違いがあるんだ」というふうに押さえられ、教わってきたことからいえば、そこのところまで、一先ず、自分なりに、ちょっと、受け止められるということが、まあ、あるんですね。

                (四)

 ですからわたくし自身は、「南無阿弥陀仏」っていうことにつきましては、そういう、「悪人に成りて、悪人を生きる」というふうに、まぁ、受け止められるようになってます。これが「南無阿弥陀仏」の六字でもって言い表されてくる内実だというふうに、目下、受け止めているわけでして、そういう「悪人に成りて、悪人を生きる」というふうな内容をあらわす「南無阿弥陀仏」を、ま、自分自身の身にいただいてゆくとなりますと、ま、わたくしにいただける「南無阿弥陀仏」っていうことは、そういうような「悪人に成りて、悪人を生きている」、あるいは「生きていかれてゆかれた」、そういう「悪人をたのむ」と、ここに、納まる、ようにわたくしは思っています。ですからまぁ、「南無阿弥陀仏」自体は、ま、わたくしの言葉で言えば「悪人に成り、そして、悪人を生きる」ということとして、目下了解されるわけです。ですから、その「南無阿弥陀仏」を自分がいただくっとなりますと、つまり、わたくしの上にいただかれてくる「南無阿弥陀仏」となりますと、「悪人をたのむ」と、こういう表現に、なる、ように思っています。ま、変な、学んできた方々からいえば少し、聞き慣れない、しかし平凡な表現かもしれませんですけれども、ま、「悪人」という言葉にいろいろ抵抗がありますから少し危険な臭いのする言い方かもしれないですけれども、まあ、「悪人をたのむ」というのがわたくしにいただかれてきた「南無阿弥陀仏」と、こうなるわけですね。
 まあ、『一行』誌の五十号、あるいはわたくしの五十年の歳月の中からまぁ、キザに言うとまあ醗酵されてきた表現っていうか、こぅ、なるわけですね。ですから、そういう「邪魔者」とかあるいはその「役立たない」っていうふうに見られるわけでありますけれども、その方々こそが、自分のたのむべき、大事な大事な宝なんだと、こういうふうに見方が一変してくるわけですね。ま、バリバリ会社で働いているとか、善人社会に身を置いている時には、気が付かない。そもそも見過ごしていると思います。まぁ、見過ごしても事実としては片隅にひっそりと、しかし根深く、息づいているわけですけれども、ただまぁ、善人であるっていうところに、身を置いている時においては、見過ごしたまま気が付かないでいたということもありますですね。
 だからそうすっと、寝たきりになるとか、あるいはそのぅ、いろんな切ない病気をしたりするっていうかたちで、切ない思いをしながら、敢えてその「悪人の身を果たし尽くしてゆかれる方々」こそが、自分にとって、「たのむべき人」というふうに、なるわけで、こんなのちょっと、考えられない教えになってくるわけですね。「もう早く居なくなってくれ、邪魔だ」というのが一般の見方ですから。ところが、その在り方をしている人こそが、いわば「世の一番大事な宝なんだ」と、そういう在り方の上に、「本願」が出ているわけでありますから、そういう悪人をたのまずして、我われ「阿弥陀の本願」に目覚めることは出来ない、と。「阿弥陀の本願」を知らないでいる我われに、唯一「阿弥陀の本願」に気付かしめて、気付かさせてくださる方々が、そういう、老病死で代表されてくるような、世の片隅にひっそりと、肩身の狭い思いをしながら切なく生きていらっしゃる、「悪人」なんだと。こうなるわけですねえ。ま、そこんところがひとつ、大きな問題としては何かある、と思うんですね。
 ま、半面、そういうように、老病死が「南無阿弥陀仏」として、その「南無阿弥陀仏」を通して、我われの、生老病死の人生の根幹を貫く、また支えている「本願」に、目を覚ましてゆくと。ここに、生死を出離する道があるんだと、なりますと、まぁ、わたくしの上では、そこがなかなか身に沁みてないわけです。老病死してゆくことに恐れてきているわけですからやっぱり、老病死したくないんだ、と。老病死だけはご免蒙る、と。老病死をなんとか避けようと、そういうかたちでやっきになってきた。けれども、生死してきた、迷ってきたそういう面で、自分にとっては、何かひとつ、方向っていいますかねえ、光が見出されてくるっていう心持ちもするわけですね。
 つまり、「南無阿弥陀仏」を通して、「南無阿弥陀仏になった本願に目覚めてゆく」と。そして「目覚めた本願に生きてゆく」と。逆に言えばわたくしども、「南無阿弥陀仏になってゆく」、というところに、老病死の問題の、いわば解決があるんだ、と。まぁ、この世からはみ出されることも最終的には「南無阿弥陀仏」になってゆくことなんだ、と。「南無阿弥陀仏」にこぼれ落ちてゆくことなんだ、と。こういうふうに、ひとつ、まあ、まぁ、明快な、明確な線が打ち出されてくるわけですねえ。
 これはまぁ迷いは尽きないわけでありますから、老病死についての悩みはずっと付きまとうわけですけれども、それでもまぁ、老病死してゆく人生に対してひとつの、行き先が、なにか先立って示されているんだなあという意味においては、自分ながら、一面においては恐れつつ一面においてはまぁ、敢えてそこに老病死してゆくっていうことになんか、力を、まぁ、エネルギーをいただくと、貰うと、こういうふうに。今まで悩まされてきた老病死が、恐れてきたことから、ま、そこに甘んじて、老病死してゆくというかたちに、受け止め直されてゆくと、いうことが、わたくしの場合はありますですねえ。
 で、このまぁ、終りを全うしてゆくとか終りを尽くしてゆく、ま、西に向かってゆくエネルギーっていうことですけれども、このことももういっぺん悪人の眼で見直してみるならば、「悪人に成る」ということですけれども、つまり、病気になった、あるいは歳をとった、と。あるいは愛別離苦、近しい人と別れた、と。こういう、出来事の只中にある時においては、そうした、はみ出してゆく、そして、はみ出しこぼれ落ちてゆくようなエネルギーが、意欲が、そこにはたらいていたんだと、こうなるわけです。その意欲あればこそ、はみ出しこぼれ落ちるということが成り立ち得るんであるという、そういうことは、その当座においてはわかんないわけです。ま、その当座においてはもう、何がなんだかわかんないっていうか、無我夢中ですしどうしてこうなったのかなあというように、おろおろ、ジタバタするだけでありまして、ま、愚痴になるわけです。どうしてこうなったのかなあとか、なんで病気になっちゃたのか、なんでこんな歳とってしまったのか、と。どうして、こんな惨めな情けない思いをしなくちゃならないんだろう、と、こういうふうに思い悩むわけですねえ。そういうふうに、まぁ、思い沈むというところに、「悪人に成る」「こぼれ落ちる」ということがあるわけですけれども、ただ、「悪人に成る」というその時におきましては、それ自体が、つまりそこに宿る「西に向かって、その終りを果たし尽くしてゆこう」という「意欲」、ま、わたくしの言葉で言えば、「後生を果たし尽くしてゆく」「後生を果たし尽くさん」というような「意欲」というものは、これは、そん時はわからない、わけです。ただそのことが、やはり、わからないまんま「悪人に成らされる」「なってしまう」わけですけれども、結果として、片隅に放り出されたというところにおいて、ま、「悪人に成った」というところにおいて、言葉を使えば、やはり「問い直されてくる」ということがあるわけでして、その「問い直される」ということが、「悪人に成った者」において開かれてくる、生活、だと思うんですね。
 もちろんこれはやっぱり我われの迷いの心で見ますから、愚痴言ったり不平不満等、あるいは惨めに思い沈むというかたちで、気にかかるわけですが、しかし、見方を変えれば、「悪人に成った」ということが、「成ったところ」から、やっぱり気にかかる。あるいはもっと積極的にいえば、「悪人に成った」そのこと自体が問われてくると、いうことがあるかと思うんですね。ですから「悪人に成った者」において開かれてくる生活、これが「浄土往生」として示されてるんでありますけれども、その「悪人に成った者」に開かれてくる生活内容っていうことは、一番の大枠のところでいえば、「悪人に成った」そのことが問われてくる生活、っていうことにこれはなるかと思います。ただそうしたことは、なかなか日常的においては、あんまり意識されないだけでありまして、よく見ればいろんなかたちで、「悪人に成った」そのことが、やっぱり問われてきているかと思います。でその、「悪人に成った」ことが問われてくるっていうことはどういうことかということなんですけれども、まあ、今言った面でいえば、そういう「はみ出るエネルギーによって、はみ出た」んだと。つまり「はみ出るエネルギーがはみ出さしめたんだ」と。こういうことになるわけですね。
 そんならばそのう、「はみ出るエネルギー」っていったい何なのか?と。これが問題になるわけですね。何だかわかんないんだけども、はみ出てしまった、と。そして、はみ出る、こぼれ落ちるっていうような「意欲」っていうことが、問われてくる、と。じゃそのう、はみ出てこぼれ落ちてゆくようなエネルギーとはいったいどういうエネルギーなのかと。あるいは、そういう、「悪人に成った」ということにはそこに、どういう「意欲」が、はたらいていたのか?と。あるいは、もっと言えば、どういうことが願われ、どういうことが祈られて、自分の思いを超えて「悪人に成ってしまった」のかと、いうことになるわけですね。そのことは通常あんまり言われないわけです。そういうのがやっぱし「悪人の身」が問われるっていうことの、具体的な内容にこれは、なるかというふうに思うんですね。
 ですから、これは、「悪人に成った」者に開かれてくる「悪人を問うてゆく生活」ということは、悪人ならしめた、あるいは悪人たらしめた、そのぅ、こぼれ落ちてゆくような、はみ出てゆくようなエネルギーがいったいそれは何なのか、と。それはどういうエネルギーなのか、と。いったいそうなったというとこにおきまして、何が願われ、何が祈られているのか、と。その、はみ出てこぼれ落ちてくるエネルギーの何たるか?ということが気にかかり、またそのエネルギーの何たるかということを問うてゆく、ということが、とりもなおさず「悪人の身を生きてゆく」っということの生活内容に、これはなってくるかと思います。わたくしどもにとりまして、いわば、そういう、はみ出たエネルギーの何たるかということを、気にかかるというかたちで問い、また、問うというかたちで聞いてゆくと、いうそういう意味での、「阿弥陀の本願」を聞いてゆく生活と、こうなるんじゃないでしょうか。
 まあ、浄土の法門から見ます「法」というのは、「阿弥陀の本願」になってくるわけでありまして、ま、「聞法」っていうことがありますけれども、聞法っていうこと自体は、これは、「阿弥陀の本願を聞く」ということが示されてくるわけです。なにもこれは、釈迦によって生み出されてきた真理を聞く・学ぶっていうよりも、むしろ、そういう「阿弥陀の本願を聞いてゆく」っていうことが、「聞法」になるわけですね。
 ですからそのぅ、「念仏」に対して「浄土往生」ですけれども、あのぅ、「悪人に成った者」によって開かれてくる生活が、仮に言えばそのぅ、「浄土往生」っていうことになるわけですけれども、その「浄土往生の生活」ということの一番基本的な内容が、わたくしどもの先輩方が言い表されてきた「聞法生活」と、こういうふうに、まぁ、自分なりには、受け止めているわけですね。ま、「念仏」と「聞法」は、これはもともと一つなんですけれども、しかし敢えて分ければ、「聞法」の方が、やはり、「浄土往生の生活」をあらわすと。「聞法」は、「念仏」によって開かれてくる「浄土往生の生活」をあらわすんだと、こういうふうにわたくしは見たいと、これは思ってます。
 したがってこれは、はみ出てこぼれ落ちた者が、はみ出てこぼれ落ちた処で、そして、はみ出てこぼれ落ちたエネルギーを、問い、聞いてゆく、と。こうなるんじゃないかと思うんですね。つまりまぁ、「悪人に成った者」が、「悪人に成った処」において、「阿弥陀の本願」を聞いてゆく、と。これがまあ、「浄土往生」でもって言い表されてくる、「悪人に成った者」の上に開かれてくる生活ではないでしょうか。ですから、そのことが具体的にはやはり、昔の方々は、病気をしたり歳をとったり、あるいは、息絶える最期までとにかく、「ナンマンダブ、ナンマンダブ、ナンマンダブ」というふうに声に出してゆかれたという、生活、すがたかたちとして、具体的に、先立って、示してくださっていると、いうことをわたくしは思うんですね。
 だから別に「南無阿弥陀仏」がわかった・わからないはいいわけですけれども、しかしまぁ、悪人に成った者が、悪人に成った処で、悪人たらしめた、ならしめた、その、悪人に成る、あるいは悪人に成り続けてゆくエネルギーを聞いてゆく、と。そういう「聞法生活」ということが、やっぱり、「浄土往生」の根幹をなす、のではないかと、いうふうに、これは、あのぅ思っています。ですから、そういうところで、初めてなんか、「南無阿弥陀仏」の六字をもって「阿弥陀の本願」に目覚めてゆく、っていうような言われ方が、少し身近に響いてくるのかなぁ、とも、わたくしは思うんですね。これもいかがなもんかということであります。
 ですから、そういうことを思いますと、「念仏往生の生活」といっても所詮は、やっぱり「聞法」に尽きるわけですね。「聞法」に尽きるっていうことは、これは、「南無阿弥陀仏」の六字を聞いてゆく、というふうになるかと思うんですね。「南無阿弥陀仏」を通して「南無阿弥陀仏」になった「本願」を、どこまでもとにかく聞き開いてゆくということですから、とりもなおさず、「南無阿弥陀仏とは」「南無阿弥陀仏とは」っていうふうに「南無阿弥陀仏」を、ひたすた問い尋ねてゆくということが、具体的には、「南無阿弥陀仏になった本願」を聞き開いてゆくことにつながる、なってゆく、のかなぁと思わされてくるわけです。ですからまぁ、「南無阿弥陀仏」を聞いてゆくっていうことには終りがないわけでしょうし、ま、そういう意味で親鸞聖人が法然上人の、「愚者になりて、往生す」、ま、わたくし流に言えば、「悪人に成りて、悪人の身を生きてゆく」と、このこと一つを、やはり聞き開いてゆく、と。つまりそういうかたちで、そこに流れてくる、いえば、「悪人に成りて、悪人を生きてゆく」エネルギーを、「悪人に成り」「悪人の身に生きてゆかれた」「悪人の身を生きていらっしゃる」方々を通して、聞き開いてゆく、と。これがひとつあると思います。それだってまぁ、「本願」が少しづつ聞き開かれてゆくならば、その「本願」に生きるっていうことが、具体的にはこちらが「悪人に成り、悪人の身に生きてゆくこと」でありますから、「後生」といわれてくるわたくしどものこの人生そのものが、やっぱり最後に待ち受けていく「人生の行方」として、そして、私どもに受け止められてくるその「後生」が「南無阿弥陀仏」として、やはり、かたちづくられてゆく、と。こういうことが、まぁ、先ず、わたくしには、思われてくることなんですね。

               (五)

 「悪人に成って」初めて、悪人の眼から、「はみ出る」っていうような出来事が見直されてくるわけで、悪人に成らなければ悪人の眼は持ち得ぬということはあるでしょうね。ところが、ずーっと善人をやってきたっていえばやってきたことですから、悪人に成ってもなかなか善人根性が抜けきらずに、やっぱり善人の眼でしか見られないと、こういう問題があることはあるんですね。
 しかし、「はみ出る」「こぼれ落ちる」とこういうところに「エネルギー」っというのがある、と、こうわたくしはとるわけですけれども、そのことの内実をわたくしどもの先生方が言われてくる表現で言えば、「そこに本当に、その老病死したり四苦八苦してゆくようなこの身を、それこそ、引き受け、背負って立つ「大悲の心」があらわされているんだ」と、こうなるわけでしょうね、これは。しかしまぁ、老病死してゆくようなこの身を、本当に責任を負ってゆくような、そういう「大悲の心」があるんだということも、直ちには受け止めきれないわけでしょうから、先ず入り口としては、こういう「はみ出て、こぼれ落ちる」という「エネルギー」として見るのも、まぁ、不正確かもしれませんですけれども、大事といえば大事なことだろうなあというようにも、これは思っております。
 というのは、これはあのぁ、ずーっとわたくし自身も抱えてきた問題でして、今日およそ、様々な人間関係を生きてくる中におきまして、ま、今流の言葉を使えば「共同体の問題」っていうことが、これはまぁ、テーマとしてあるわけで、まあ、「国土の問題」ですね。その、いわゆる「共同体の問題」とか「国土の問題」っていうことも、もう少し丁寧に言えば、やっぱり「共同体の私的な閉鎖性」っていうかたちにこれはなるんだと思いますねえ。ま、共同体っていえば、「仲間内だけの共同体」。ま、そういう面で、私的な共同体しか築き上げず、外の者が入れないっていうこういう狭さを、人間の作る共同体はもぅ、絶えず抱えるし、その私的閉鎖性っていうことが、免れ得ないっていうことを、まぁ、いろんな人がいろんなところから、いろんな表現で指摘するわけですね。ですからまぁ、私的閉鎖性っていうことをどこでどういうかたちで超えてゆくのか?っていうことは、人間がおよそ国土を持つ限りにおきましては、もぅ、一貫して抱えてきた問題なんだと思います。で、その私的閉鎖性っていうことを超えるために、いろんなかたちで試行錯誤をされてきたのが、ある面では、国を求めてきた人類の歴史である、とこういってもいいわけですね。私的閉鎖性を破ろうと、超えようとして、結果的には、私的閉鎖集団しか築き上げないというところが、国を求めつつも、国が得られないんであると、というふうに言われてくる内容だろうなあということも、思っているわけです。
 これはまあ自分の体験もあるんですけど、どういうかたちで共同体のその私的閉鎖性を超え得るのか、と。ま、家庭にしましても会社にしましても日本の国、あるいは民族にしましても、あるいはまたわたくしどもの大谷派教団にしても、この問題は共通するわけですね。で、このことに対して、「南無阿弥陀仏」でもって明確な答があらわされているっていうことは、これ、どうでしょうか。わたくしどもでもですね、いろんな共同体に身をおく中において、その私的閉鎖性っていうことは随分と感じさせられもしてきたですし、いろんな外の方から叱られるというかたちで、ま、指摘を受けてきたわけで、そういう中で、私的閉鎖性を超えようっていうふうに、何とか、努力してきたということもあるわけですね。で、まぁ、わたくしどもが思ってきたのは、私的閉鎖性であればこそ、私的閉鎖性を超えるような共同体に変えてゆこうというふうに、努力してきたわけで、そういう、狭いがゆえに広い共同体に何とか変えてゆこうというような発想を、わたくしは出られなかったんですねえ。
 しかし、今申し上げたことにも尽きるわけでして、じゃ、どういうようなかたちで超えてゆけるのかになりますと、共同体の中に留まっていて、その内に留まる中におきまして、自らが身をおく共同体を何とかそうでないような共同体に変えてゆこうとする限りにおきましては、結局、国を求めて国を得られないと。そこで流転すると。そういうことになってくるんだということを、自分の体験の中でも感じさせられてきましたし、人類の歩みを通せばやっぱり、国の歩みそのものがやはり、そうしたことを示しているということも思うわけですね。
 その中ではっきりしてきたのは、これはまぁわたくしは、親鸞聖人が「愚禿」というふうな名のりが言い表そうとしてきた意味になるんじゃないかと思いますけど、内に留まって、その、内なるその狭い共同体を、公明正大なものに変えてゆくっていうことではなくして、むしろそういう、今まで留まっていたその内なる共同体の外に、はみ出て、その外に放り出されると、いうことが、私的な閉鎖性を超えてゆく道なんだ、と、いうことを、これはあのぅ、実感してます。それによってのみ、私的な閉鎖性が超えられてゆく、と。そのことだけが、超える道であってそれ以外は結局、狭さをやっぱり破れない、ということを、ちょっとまぁ思っているんですねえ。ま、これもいかがなもんかということなんですねえ。
 そういう面でいえば、閉鎖性を超える道がやはり、「南無阿弥陀仏」でもって示されているっていうことの意味が、少し自分なりに、感じられてきたっていうことは、期せずして、はみ出るっていう、こういう自分自身の体験を通して、そういう体験の歩みを通して、ま、先に申した言葉を使えば、「悪人に成る」ことによってなんだ、というふうに、これはあのぅ、思うわけです。
 これは、善人の思考から見ればなるほど情けないような、惨めな思いになるわけですけれども、さっき言いましたように、「悪人に成る」っていうことは、善人の身を、善人社会を生きること以上の、途方もない強く深いエネルギーが要求されるでしょうし、そういう尋常ならざるエネルギーがそこに生きてはたらいているんだということを、まぁ、わたくしは実感するわけです。で、結局、はみ出てゆくエネルギーっていうことを思いますと、全員でというわけにはいかない、あるいは皆で腕を組んでというふうにはいかないでしょうから、つまるところ、自分一人が、その外に、放り出されてくることになるわけです。だからまた、切ない思いに悩まされるわけですね。
 まぁ、「一人の世界」に、放り出されてくるということになるかと思います。ちょうど、老病死っていうことがやっぱり誰もとって代れないっていうことに、つながってくるわけですね。ですからまあ、「念仏の信」ということ、つまり、もう少し言ってみれば「悪人に成」って「悪人に成った」そのエネルギー・本願に目を覚ますということが、「念仏の信」ということであらわされてくる意味かと思いますけれども、そのぅ、「悪人」っという一点から見れば「念仏の信」は、あくまでもこれは、「一人の信」と。ま、「親鸞一人がためなりけり」とこうありますように、やっぱり「一人」ということで示されてくるような「信」の内容なんだ、ということが思わされてくるわけです。
 で、わたくしがまぁここがはっきりしないところでもあるし、これからもう少しはっきりしてゆかにゃならないところなんだろうなあと思いますのは、その、善人社会からこぼれ落ちたことによって図らずも「一人の信」が開かれてくるわけですけれども、その「一人の信」というものが、そのぅ、今までの既成の共同社会を包み、成り立たせているんであるということ、これが、なかなかはっきりしないんですね。ま、いえば、世間から「一人の信」が生み出されてくるということと、その世間から生み出された「一人の信」が、世間を成り立たせ、支えてゆく。あるいはその、「一人の信」が世間を包んで摂取不捨してゆくという、この面ですねえ。
 そういう面で、さまざまな世間の共同体から、「一人の信」が生み出されて、その「一人の信」がさまざまな共同体を包んでゆく、っていう面におきましては、むしろ「一人の信」の方が「公性」を持つわけで、世間のいろんな、共同体っていうことはむしろ「私的」になるわけです。けれども、我われの常識的な見方でいうと、なんか、世間の方が、公。さまざまな、もっと大きな共同体の方が公性を持って、「一人」の方がなんか私的であるというような、こういう見方が、自分にはやっぱり払拭できないという、面があります。
 このことは少し別のとこで申し上げたんですけれども、『真宗聖典』の方をちょっと出しておきますとですね、八七七頁の、有名な『聞書』でありまして、「一宗の繁盛」、ま122ですね、
  一宗の繁昌と申すは、人の多くあつまり、威の大なる事にてはなく候う。一人なり 
  とも、人の、信を取るが、一宗の繁昌に候う。
と。こういう有名な、『聞書』があるんですね。わたくしはこれが、親鸞聖人を受けた蓮如上人の真骨頂ではないかというふうに受け止めているんですね。つまり、「一宗の繁昌」っていうことはおよそ、共同体に責任を負っている者にとっては、当然ながら課せられてくる課題になってくるわけですけれども、じゃ、どういうことが「一宗の繁昌」、あるいは「一共同体の繁盛・繁栄」になるのかとなりますと、これ、よくわからないわけですねえ。で、それにつきまして蓮如上人は、「一宗の繁昌」は、これは、「威の大なることではない」んだと。むしろ、「一人の信」であると、こういうふうに言い切っていられるわけですね。ま、通常でいえば、「人の多く集まり、威の大なること」が、「公性」であって、「一人の」と、「一人」というのは「私性」に見られるわけです。けれども、蓮如上人がここでおっしゃるのは、むしろあべこべのことをおっしゃるわけですね。わたくしは、「人の多く集まり、威の大なる」そういう本願寺教団を、作り上げた蓮如上人のお言葉、ま、「言行録」でありますけれども、であればこそ、わたくしはこの言葉は非常に説得力があるように思っているわけです。ま、そういう、威の大なる本願寺教団を築き上げた蓮如上人が、「一宗の繁昌」を「一人の信」だと、こういうふうに言い切るわけですね。
 これはあのぅ、本願寺教団に身を置く方々にとりまして、蓮如上人の見方がいろいろあるのかと思いますけど、わたくし自身はやっぱりそのぅ、本願寺教団からもはみ出たのが、蓮如上人であると、こういう見方をしてます。「威の大なる」本願寺教団を自ら作り上げ、自ら作り上げた「威の大なる」本願寺教団からはみ出て、「一人の信」、そこにこぼれ落ちたのが蓮如上人の、特に晩年のすがた、ではないかというふうに、まぁ、思っているわけですね。
 ですから、「威の大なる」さまざまな共同体から、「悪人に成る」という「一人の信」が開かれ、その「一人の信」が、さまざまな「人の多く集まり、威の大なる」共同体を、包み、支えるところに、「一人の信」の公共性というのがあるように、わたくしは見ているんです。しかしそのところが、一番今日わかりにくいところで、「一人が信を取ったぐらいでは」というような、そういう見方が横行していますし、わたくし自身も、なかなかそこまで受け止め切れないということがあります。ま、そこんところがひとつ、「念仏の信」に対して、やっぱり、「疑い」というふうに言われてくる問題の具体事例かなあというふうにも、わたくし自身として思うわけです。
 そのことは、こういう僅か三〜四人の小さな学習会に、「こういうところにこそ「公性」があるんだ」と。むしろ、世の中全般を、あるいはもっと言えば、ここのお寺のご門徒さんにも知られていないで開かれているわけでありますけれども、その小さな学習会が、このお寺そのものを、あるいは、本願寺教団そのものを、包み・支えているんである、と。そういうことへのまぁ、自信がなかなか持ち切れないということを問題関心としては持っています。しかしそこが、これからやっぱ明らかにしてゆくべき、一つの課題かなあというふうに、思っているわけですね。ま、「威の大なる」共同体から「一人の信」が生み出されてくるっということが、これはあるかと思いますけれども、同時にそのぅ、「一人の信」を生み出した「威の大なる」共同体が、むしろ「一人の信」によって包まれてくると、この面がどーもわたくしはハッキリしないっていうんですかね、思ってみないわけでありまして、そこは少し、今日的には宿題であろうかというふうに、思っています。しかし、本願寺にしたってそうだと思いますけれども、親鸞聖人一人、あるいは蓮如上人一人が、本願寺教団をやっぱり、成り立たたせて、支え・包んでいるということはありましてねえ。そうなっているんですけれど、ただこちらの方がそこまで、自信を持ち切れないという意味での「疑い」ですね。これはひとつ、まあぁ、思わされてくることなんですね。
 ですから、いうならば、そういう「一人の信」こそが「公性」を持つんだ、と。それこそが、この世の中のさまざまな共同体を、成り立たせ、支えているんであると。こういうふうに、その「一人の信」の「公共性」を確信するというところまで、はみ出た者が、はみ出た処におきまして、はみ出たエネルギーを聞き開いてゆく、と。これがひとつ、聞法してゆくところの目安として、まぁちょっとわたくしは見てます。ま、そこまでは、やっぱり、「阿弥陀の本願」を聞き開いてゆかなければならないということが、一つの道筋として示されているのではないかと、いうことをまぁ、思っております。
 しかし、まぁ平凡に言えば、善人の世というのは「悪人」によって支えられているんである、と。あるいは、「一人の信」としての「悪人」が善人の世を包み・支えているんである、と。こういうことは、これは、ハッキリしていないということと、これから、なんとか、明瞭にしてゆかなければならないと思うわけです。といっても、外に向かって叫ぶんじゃないですから。そこまでやはり、聞き開いてゆかなければならないっていう道筋が、こういう聞法に縁を持った者に、やっぱり託されている。聞法してゆく者の責任というか、使命ということを、わたくしは思っています。
 まあ、言わずもがなのことなんですけども、やっぱり、いろんな面で問題を起こして、躓いてゆく・失敗してゆくわけですから、そういうことに対していえば、「悪人」がやはり、力を持つっていいますか、たのみになるっていいますかね、そういう「はみ出て、こぼれ落ちる」という者に、「なるほど、そうなんだ」というふうに、同感とか共感をしてゆくことができる、と。そこになにか、「悪人」のもつ社会的な意義、といいますか、責任というか使命っていうことを、わたくしは感ずるんですね。で、これだけはやはり、善人には、無理だと思います。善人にしてみれば、つまらないですしね。何か事があった時に最後にたよりになるのはどういう人かとなると、やっぱりこれは、善人は無理ですねえ。そこにおいてたのむべき人として悪人が仰がれてくるということは、お互いに共通の体験としてあるんじゃないかと思うんですね。わたくしどもは別に、世の中全員に認められようなんて思ったこともないし、そんなことはなくとも、「ただ一人」でいいからやっぱりそのぅ、自分のことに同感、あるいは共感してくださる人、もっと言えば、自分の命運を担ってくれる人に出遇うならばですね、それでもって、存在全体がこれは満たされるわけです。ですから、そういうかたちで生老病死っていうことが出離されてくるということを、まぁ、これはわたくしも教わってきたわけでして。そういう同感、つまり、はみ出てこぼれ落ちてゆく人を、同感、あるいは共感してしかもそういう方々と、一緒に歩んでゆくことができると。この一点でやはり、「一人の信」がやはりわたくしは「公性」を持つんだと思います。で、この一点によってとにかくその「悪人」が、善人の世を支えるっていうことが言い得るのではないかということを、思っているわけです。
 で、「躓く」っていうことで確認しておきたいことがあるんですけれども、これは冒頭出したところと係わってくるわけですが、まぁ、法然上人を受けての親鸞聖人になりますと、念仏往生の歩みっていうことは、これは躓いては立ち上がり、さらに躓いては立ち上がるっていうような、螺旋円環で示されてくるわけですけれども、なぜに躓くのか?というか、あるいは、躓いてゆくとはどういうことなのかということも、これは問題関心としてあるんですね。ま、これもどうでしょうか。
 わたくしどもはやっぱり、失敗というか間違いを恐れるわけで、間違いをマイナス評価としてしか、見られないという面でいえば、最後はやっぱりそのぅ、間違ってはいけないとかあるいは間違うまいと、こういうのが出てくるわけです。これが、どうでしょうかねえ。ま、巧いこと言えないんですけれども、間違ってはいけないというような、こういう、失敗することへの恐れとか、あるいは偏見というのが、なにか、我われの人生を縛るというか、窮屈にしているということを、感ずるんですね。ま、わたくしは絶えず間違い続けてきた、間違ってばっかりですから、そういうことを思いますとなおさら、そういう間違うということへの、恐れとか偏見ということは、随分自分の人生を縛りつけてきたなあということを思いますし、そうした間違うことへの恐れとか偏見から解き放たれてくるならば、これほど心強い・伸びやかな人生はない、ということも思っているわけです。
 そこでいえば、冒頭申し上げましたように、そういう躓き続け同時に、間違い続けてゆくこういう道筋が、『教行信証』によって示されてくるっということに……。間違えることはいけないことでありますし、まあそこに、いわば、迷惑や心配も掛けますから。そして、悲嘆痛恨の思いにさいなまれるわけですけれども、同時にしかしまた、甘んじて、間違ってゆけるというような心強さ、あるいは豊かさということを、『教行信証』を読みますと、自分としては、感ずるわけですね。それがあのぅ『教行信証』を親鸞聖人が書かれた、また、わたくしどもが『教行信証』を読むことの、やっぱり大きな意味だというふうに、わたくしはまぁ思っているわけです。
 その、間違う、あるいは躓くっていうことですけれどもね、これはまあ当然ながら、躓く種、因というのがわたくしどもの中にはあるわけですね。ま、これはやはり、歩み続けることにおいて出てくる、煩悩っていうのがあるんだと思います。貪・瞋であらわされるわけですけれども、特に、歩み続ける中における躓きっていうことは、「疑い」であるとか、あるいは「慢心」であるとか、あるいはそのぅ「邪見」といったそういう煩悩が、歩み続ける中において頭をもたげてくる、と。これがもう避けられないと思うんですね。これがなければともかく、常に出てくるっていうのが、躓く原因として受け止められ、まぁ思わされてくるわけです。だから、歩み出す前までの失敗というのは、他愛ない、あるいは可愛らしいわけでしょうけれども、歩み出した後の間違いっていうことは非常に性質の悪い、まぁ、憎むべきっていいますかね、嫌悪すべきようなこういう、どうしようもないんだけども、しょうがないなあっていうような、眉をひそめるような。まあ、性質の悪い、憎むべき過ちだろうと思うんですけれども、それはまぁ、求道してゆくところに出てくる煩悩が、先ずしからしめてくるというのが、やはりあろうかというふうに思ってます。
 それからもう一面は、躓く因に対していえば、躓く因だけでは躓くことも起こらないわけでしょうから、やっぱり、我われをして躓かせるような力、躓かせる縁というのも、同時にはたらいているかなあとも思うわけです。まあ、躓く種があると同時に、我われをして躓かせてくるところに、我われの身を置く現実、あるいは具体的な出来事があるんだと、こういうこともあるんでしょうねえ。まあ、それがなければ躓くこともないわけでありますから、そういう躓く種と、躓かせる力としての縁と、両方因縁あいまって躓くということが、起こってくるということがあると思うんですね。
 最後になるんですけれども、これはまぁ宿題として、ちょっとまぁ、「お互いに」っという面で出しておきますと、なぜ躓くのかなあということを思いますとですねえ、わたくしとしてはですね、どうもやっぱりそのぅ、「南無阿弥陀仏の道」が、いわゆる世間に身を置く中において、「阿弥陀の本願を生きる」という、ここに孕まれているのではないかとというふうに思うんですね。ま、「王法」と、「南無阿弥陀仏の法」との関係になってくるわけです。通仏法というのは「王法」と重なり合うところがありますから、通仏法あるいは「王法」で代表されてくる法というのが、これは「教信行証」によって統理されてくる世界と、一応言えるかと思います。けれども、わたくしどもがこの世間において、「本願」をいろんな出来事を通して、「南無阿弥陀仏」によって聞き開いてゆくということは、「教信行証」によって統理されてくる世界の中で、「教行信証」なる道を歩むということであり、ここがひとつあるかと思うんですね。ま、躓いてゆくことが「教行信証」の道なんですけれども、そこではどうしても「教信行証」という法と、「教行信証」との法のズレが、世間に身を置いて「南無阿弥陀仏」を持っていく中においては、どうしても避けることができない、という構造を持つと思うんですね。ですからまぁ、「教信行証」と「教行信証」とのズレ。で、ここのズレを生きてゆくことになりますと、まぁ、両者がぶつかるわけでありますから、「教行信証」と「教信行証」との世界の衝突ということがどうしても、生ずるわけですね。ま、そこが世間から迫害されたり潰されてきたりと、いわば、「南無阿弥陀仏の法」が難ぜられてくるっていうかたちに、なるんだと思いますね。
 まあ、「教信行証」の世界に「教行信証なる道」を歩もうとするならば、どうしても「南無阿弥陀仏の法」が、難ぜられてくることが不可避になってくると思います。で、そこでのズレということが、我われを、「念仏の信心」に生きる者を躓かせてくる大きな縁として、我われの上にのしかかってくる、ということが思われます。これも、どうでしょうか。いわば、「王法」と「南無阿弥陀仏の法」との関係になってくるわけです。そこにいうならば、「教信行証」と「教行信証」との、まぁ、二つの世界の狭間を生きてゆくっていうことが、世間に身を置くかたちでの、「南無阿弥陀仏」を持ってゆく、ことになろうかと思うのですね。したがってどうしても「教信行証」と「教行信証」との狭間に翻弄されざるを得ないと。ま、これがやっぱり、わたくしどもの聞法生活において、立ち塞がっている、具体的現実。それあればこそ、やはり、躓きがどうしても避けられない、と。これも、いかがなもんかと思うんですねえ。
 特に、「南無阿弥陀仏の法」を生きる者にとって、その「南無阿弥陀仏の法」が、難ぜられるっていうことは、ただ単に、その教理とか教義が難ぜられるっていうよりも、「南無阿弥陀仏の法」が難ぜられる中に、そういう世の中に「南無阿弥陀仏」に生きる者が身を置いてゆくことになるわけですから、その「南無阿弥陀仏の法」が難ぜられるっというところに、何といいますかね、「南無阿弥陀仏の法」を生きる者のまぁ、現実の身があると、こういうこともあるでしょうねえ。
 まあ、端的に言えば、「衣食」の問題、いわゆる経済の問題が、重くのしかかってくるわけですね。まぁ、食べてゆけなくなる、生活してゆけなくなるという、この問題が常にのしかかってくるわけで、そういう「衣食支身命」といわれてくるような現実の身を抱えてゆくところに、「教信行証」と「教行信証」との狭間に身を置きつつ、「教信行証」の方に流されてゆく、吸い取られてゆくということが、どうしても起こってくると。そこでの闘いというところに、まぁ、両者の狭間に生きてゆくということに、「聞法生活」が、あるように思っているわけです。
 その関係が大きな問題でありますけれども、これは少し、「一人の信の公性」ということと係わるかたちで、ま、「王法」あるいは「王法」を含んだ通仏教と、「南無阿弥陀仏の法」との関係、あるいは「教信行証」と「教行信証」との関係、その二つの世界の関係を生きるというところに、まぁ親鸞聖人が、曇鸞大師でもって示された、あるいはまた「非僧非俗」でもって示されたような「愚禿鸞」というように名のられてくるような意味が、どうもあるように思っているわけです。そういう中で、絶えず「教行信証」というような「南無阿弥陀仏の道」に引き戻されてくるところに、我われを呼び返す「名号」のはたらきが、やっぱりあるんだ、ということなんだと思いますですね。
 こんなことを思いますと結局、そういう狭間を生きる中におきましても、唯一、目安に、たのむべきになりますと、やっぱり「悪人をたのむ」と。繰り返すようですけれどわたくしはそこに収まるように思っていまして、まあ、自分としてはその、そういう面でいただける「南無阿弥陀仏」を、「悪人をたのむ」と、こういうふうに、まぁ、思わされるわけです。そうした、最後のことを含めますならば、今言ったような「一人の信の公共性」っていう問題と同じことなんですけれども、その「教行信証」と「教行信証」との二つの関係っていうことを踏まえて、「南無阿弥陀仏」としてあらわされてくる「悪人をたのむ」ということを、今後の宿題として、明瞭にしてゆかなければならないなあと思います。

 ま、今回、こういう機会を通しまして、一先ず、「悪人をたのむ」と、こういうふうに、自分なりに言葉になってきたということと、その「悪人をたのむ」ということ自体を、これを機会にして、ま、自分なりに明瞭にしてゆく一つの大きな節目かなあと、今度の機会を受け止めさせて貰ったわけでありす。これからもいろいろ、わたくしはまぁ間違い続けますけれども(笑い)、ぜひ、まぁ「教信行証」の方に、善人の方に流されていったら、絶えず叱って貰いまして、もういっぺん、「南無阿弥陀仏になっている本願」を聞き開いてゆくっていうところに、呼び戻してくださることをお願い申し上げまして、今回の終りとさして貰います。ありがとうございました。
                                    (了)

 

 

        一九九八年(平成十年)十月十九日
        東京都西東京市 真宗大谷派・遍立寺において、
        「一行の会」例会にての大島義男師特別発題の採録による。
                           (文責 大竹 功)

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